南三陸町観光協会主催「東日本大震災から11年、自然災害と向き合う2日間の語り部ツアー」(オンライン)に参加しました
避難所で自治会長をつとめた髙橋長泰さんの話から、
避難生活で命を守っていくためには、
お互いを理解して、力を合わせていくことが
大切だと思いました。
2022(令和4)年3月12日(土)、3月13日(日)に
南三陸町観光協会主催・3月「語り部」特別企画
「東日本大震災から11年、
自然災害と向き合う2日間の語り部ツアー」
(オンライン)に参加しました。
◎3/12(土)11:00~12:30
オンラインの画面から、
晴れて、風の強い光景が伝わってきました。
案内者の南三陸町議会議員の後藤伸太郎氏は、
「きょうは、暖かいです」と。
ときおり、強風が吹き、
髪の毛やスーツの裾が揺れていました。
マイクロバスに乗る参加者が8人
オンラインの参加者が13人でした。
震災に関係のある場所へ向かいました。
①ベイサイドアリーナ
震災後に災害対策本部が置かれました。
避難所、遺体安置所としても使用されました。
災害ボランティアセンターが置かれました。
いま近くには、
4階建ての災害復興住宅が並んでいます。
2015(平成27)年には、南三陸病院が開院しました。
②漁港付近
新しい取り組みの地域おこしで
南三陸ワイナリーのワイン販売、食事処が
あります。
③震災復興祈念公園
公園近くに、
10月頃オープン予定の震災伝承施設が建設中です。
二重構造の中橋を歩いて渡ると、祈念公園です。
最後まで、町民へ避難を呼びかけた旧防災対策庁舎
が、鉄骨を朱色に防錆塗装して残っています。
2031年まで県有化されて、保存、解体かは未定です。
津波の高さ16.5mより、少し高い海抜20mの築山に、
祈りのテラス、鎮魂のモニュメントがあります。
④さんさん商店街、モアイ像
28店舗が営業しています。
チリ地震後の交流で送られたモアイ像は、
海側に移転予定です。
◎3/13(日)13:00~14:30
天気は曇り空で、雨が降ったせいか
地面が濡れています。肌寒そうです。
案内者は、当時、志津川小学校の避難所で
自治会長をつとめた髙橋長泰(たかはし・ながやす、69歳)氏です。
老舗の味噌屋のご主人です。
「きょうは当時と同じ服装で来ました」
画面から、紫色のブルゾン、
ジーンズ生地の青色の前掛けが見えました。
参加者は、現地参加者とオンライン18名です。
①震災当日の避難ルート
髙橋さん「地震のあと、日頃の避難訓練場所の、すこし高台の上の山公園へ行くと、誰もいないし、何もなかったです」
「『防潮堤を越えるぞ』と声があって、砂煙、土埃があがるのが見えました」
説明する髙橋さんの手に、浸水して地面にたまる海水の写真、木に巻きつく海藻類の写真がありました。
上の山公園から、当時の避難所となった志津川小学校を
目ざして歩きました。
細い山道のような道を進んでいきます。
震災のとき、その道を16時30分頃に歩いたそうです。
②志津川小学校
髙橋さん「水が不足していましたので、プールの水を、バケツリレーで、トイレ、掃除用に使いました」
「体育館は、寒くて寒くて。工務店のかたが、発電機を運んでいました。ストーブがあり、電気がついていました」
「ストーブの3列目に座ったのですけど、ガラスが割れていて、寒かったです。余震がきて、寒いし、妻と手をつないでパイプ椅子に座りました」
「幾日かして、地区ごとに班をつくり、震災から4日目に、背中を押されるようにして自治会長をまかされました」
◎質疑応答
自治会長として、避難所の人と人との関係で、
いちばん困ったトラブルは、何でしたか。
「揺れ、不安があり、不安を解消するすべが
ありませんでした。
私たちがやっていることに、
くってかかる人もいました。
けれども、口に出すと安心するのです。
ステージ前で、朝晩、班長会議をしていました。
きちんと開示しようと、つとめました。
最初は、会議の様子を何をしているのか伺う人が
いました。そのうち、なくなりました」
◎私の感想
2日間にわたり、オンラインの語り部ツアーは
未来への防災を考えるきっかけになったように
思います。
未来を考えて、人の命・健康を守るためのヒントがあると
思いました。
ライフラインが止まるなか、窓ガラスが割れて、
暖房があっても十分な暖をとれないこと。
水が止まれば、プールの水をみんなで力を合わせて
運んで使うこと。
あらためて、気づかされました。
避難所で自治会長をつとめた髙橋長泰さんの話から、
避難生活で命を守っていくためには、
お互いを理解して、力を合わせていくことが
大切だと思いました。